三宮からの帰り道、私鉄の座席に座って周りを見ると
世界には実に色々な人間が存在することに気がつく。
老若男女と括ることは簡単だが、きっと俺以外の人にも
それぞれ仕事があって恋人がいて人生があるのだろう。
だが俺には俺の世界しか見えないように、他の人間の
世界の存在を確かめる事は出来ないのだ。
それは神の存在証明に似て。
人は観測出来ないものを、存在しないものとすることしか出来ない。
だから、人は想像する。
この狭い車内には空間という概念を超えた、
幾多の世界が、きっと存在しているのだと。
電車が駅に滑り込むと同時に俺は座席を立った。
ホームへ降り、エスカレータに乗る。関西の掟に従って右側に立つ。
人々が次々にエスカレータを駆け上がって俺を追い越して行く。
…だから、エスカレータでは歩くなと言っているだろ。
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