2007年07月09日

forms for folks



Up and down, rise and fall.
go up and back to downward,
it's like an elevator.

After going above the sky,
they fall to the ground,
and they never stop moving.

I looked up to the gray sky,
and imagine the blue world
would be upper the cloud.

So I wish to the rain to take me
out from the field of gray,
and let see me the blue heaven,
there will not be things make me
melancholy like now.





地球の話。



昨年は「クーラーをつけたら負けだ」などと意地を張り続け
真夏の暑さにも左手の扇子一本で耐え抜いていたのだけれど、
今年はというと早々にじめじめとした梅雨の不快感に屈して
部屋にいる時は空調をドライに設定している。これも身体の
衰えなのだろうかと絶望的な感に苛まれるけれど。

日々の生活を快適にする現代文明に溢れているこの世の中で
それを無視し敢えて自らに困難を課すことは、先人の努力を
踏み躙り侮辱する行為であると俺は常日頃から主張している。
だが、ここsiestaでもエスカレーターの下りで述べたそれも
果たして本当に正しいかと言われると、高度に発達し過ぎた
文明が自然環境を破壊して、遠回しに自らの首を絞めている
という事実を前にして声を大にすることが少々憚られるという
のも正直な思いではある。

先日、2007年7月7日には元合衆国副大統領のAl Gore氏が
先導して行われている環境保護プロジェクトの一貫として、
Live Earthという世界のアーティスト達によるチャリティ
コンサートが全世界で行われた。実際のところ、彼らの意志
はもちろん評価されて然るべきなのであろうが、北極猿の
メンバーが指摘していたように、そのプロジェクト自体が
矛盾を秘めている上に当事者のGore氏の莫大な電力使用量が
曝露されたりと必ずしもstraightに受け入れられたようでは
ないようだ。

そもそもこういったチャリティコンサートなどというイベントは
実にアメリカ的な発想に基づいていると個人的には思っている。
彼の国ではキリスト教的思想によって、富むものはそれを社会へ
還元することが半ば義務づけられているように考える人が多く、
従って多くの人気アーティストや映画俳優などは、国際問題に
貢献したり積極的に寄付を行ったりという活動に余念がない。
そしてそういった活動を行う人に対して社会は賞賛を送るという構図。

自らが得たものを社会へ返そうという思想は素晴らしいと思う。
人間は欲深い生き物であり、そういった行為を行える人格さえも
評価されて然るべきではあると思う。しかし、敢えて言えば、
この裏には決定的な落とし穴がある。

富む者は社会へ社会へ貢献すべきだ、その思想に否と言うつもりはない。
しかし、悪い言い方をすれば、自己満足的にそういった行為を行う人が
いるということも否定は出来ない。私は皆さんからこれだけのお金を
頂きました、だからこうしてお返しします、そういった行為の中に
自慰的な、自己満足的な意味合いが含まれてはいないのだろうか。
自らへの弁解として行われるその行為は、本当に美しいものなのか。

もちろん本心から社会問題に取り組んだりその他の活動を行っている
人々もいるかもしれないが、それにしてはあまりに浅薄であるように思える。
例えばLive Earthにしても、Arctic Monkeysが指摘したように、
本当に環境問題を考えるならば大量の電力を消費し、大量の廃棄物を出す
ライブコンサートを行うことは本末転倒とは言えないのだろうか。

さらに言えば、そういった富める人々の行動に憧れ、敬意を抱く人々が
彼らを目標として、日々の生活の質を高めようと努力すること自体が
結果的に彼らアイドルが解決あるいは撲滅しようとする問題を増幅させる、
そういった構造も否定することは決して出来ない。

結局のところ、チャリティと称して消費を加速させるような社会に
そもそも世界の救済など求められる筈もない。地球環境問題を始め、
諸々の社会問題を解決するために必要なのは行動することではなく
行動規範を改めることではないのか。より豊かな暮らしを求めて
個々が活動する資本主義社会に暮らす人間にとって、環境問題への
解決策を考えることはナイフとフォークで日本食を食べようとする
ようなものではないか。つまり、対象とする問題へのアプローチが
正しいものでなければ、それは解決出来たように見えても、その
本質を完全に捉えてはいない。和食を食べる時には箸を使う方がいい。

だから今必要なのは、エスカレーターを歩いて登るべきか否か
という議論ではなく、健康な身体を持っているなら階段を登ろう、
そういう視点ではないかと思う。

でもこれをGore氏以下が理解する頃には、
きっと大陸の半分が沈んでいるだろうね。

よしんば彼らがその理念を理解したとしても、しかし人類は文明を
逆行させることは出来ないと思う。明日から電気が全て使えない、
そうなった時に果たして文明社会に生きる先進国の住民で、一体
何割の人間が落ち着いて普段通りに暮らしていけることだろう。
だから階段を歩くことを奨励してもきっと環境破壊は止まらない。
つまり、いずれにせよこのままなら人間は遠からず滅ぶのだろう。

だからこそ、ドン詰まりの今だからこそ、考えなければいけないのだ。
このままでは間違いなく地球は滅茶苦茶になってしまうだろうし、
その煽りを受けて人類も滅ぶだろう。それを受け入れるならそれも良し。
でも俺は嫌だ。

何世代も何世代も後の人類にも、W杯のあの興奮を体感して欲しいし、
もっと素晴らしい音楽や本や芸術作品を作って欲しいし、それに、
こんなに世界は美しいんだと感じる瞬間を味わって欲しいから。

自分だけが環境のことを考えても、きっと問題は解決しない。
でも自分が考えなければ他の奴は永遠に考えないんだ。

Now let's think about the earth.
僕たちみんなの、家だから。





うわ、siesta創設以来最高水準のマジメ文章だ。
でもホントだもんね。


えっと一応、活字ブロックがただのドットの集合にしか見えないヒトへ
産業で。


地球やべえ
マジやべえ
なんとかしようぜ


っていう話でした。それと、あくまで俺個人的な意見なので、
信用するかどうかは個人の判断でお願いします。





日々の話。


***


聖地・北口公園前の某進学塾で講師のアルバイトを始めた俺は、
七夕の日に正式に初職に就くことになった。冷静を装いながらも
内心ビクついていた俺だったのだが、果たして俺を出迎えたのは
十代なりたてのfunky guysであった。諸々の事務仕事もしつつ、
一体どの辺まで話のレベルが通じるのだろうと手探りで授業を
行うのも、なかなかに新鮮でいい体験だったぜ。

しかし最近の小学生は、ブレーズ・パスカルをフランスの哲学者だと
ちゃんと知っているんだな。感心だね。

しかしそこで「でも元は数学者なんだぜ!」とトリビアを披露し、
小学生相手に優越感に浸る俺も成人式を年初に終えた身としてどうだろう。


***


実は先日mixi日記の方に、ブチ切れたという話題を載せてみたら
予想以上の反響を頂いた。それというのも、どう客観的に見ても
はた迷惑な言動を繰り返す知人に対してangry voltageが臨界に
達し、大人げない態度をとってしまったという内容だったのだが。

昔から他人に対して本気で怒るというようなことは少ないので、
自分でも今回の件では少し驚いているのだけれど。自分の無能さに
腹が立つというのはよくあるけれど、少々他人に腹を立てても
大概は相手を貶めることで自分を優位に立たせ、自我を保つという
作戦で愛想笑いをふりまくのさ。それもどうだよという話だけど。
本心から相手をぶん殴りたいと思うことなんてそうそうないよね。

そういえば昔から殴り合いの喧嘩というものをしたことがない。
記憶に残っているうちでは、小学生の時に一つ年上の男の子の
あまりの横着さに腹を立てマウントポジション→デカい石で殴打、
という下手すりゃ相手を殺しかねなかったというのが一つ。
もう一つは、原因は忘れたのだが中学の時分の給食の前休みに
何かにカチンと来て、黙って近づいていきなり階段の上から
相手を踊り場まで思い切り蹴落とした、というので二つ。
これも下手すりゃ死ぬよな。

…我ながら「恐ろしい子!」。どっちも一方的だし。

今では後ろからタックルされて靱帯が切れる程度の身体の丈夫さなので
おそらくマジで殴り合いの喧嘩をしたら大怪我をしそうだけれど、時々
ふとそういうことを考えたりすることがある。これもなんというか、
生物的な本能なのかな。


***


最近いくつかの場所で話題になった、視力とそれに関する話。
なんとかいうテレビ番組で放送されていたらしいのだけれど、
モンゴルでは平均視力が2.0を軽く超えるらしい。ドンダケー

で、それというのもモンゴルに住む人々は殆どが遊牧民族であるために、
羊や馬を平原で飼っていると必然的に遠くまで見渡す必要が出てくる。
そのために人々の視力がよい、というのが通説だそう。まあいわゆる
環境要因っていう奴だね。

それに比べて日本人は、今や僕らの世代で視力矯正をしていない人の方が
少ないのではないかというくらいに視力が悪い人が多い。何を隠そう俺も
コンタクトレンズのヘビーユーザーで、もうかれこれ八年くらい使ってる。
それというのも現代日本ではTV,PCや携帯電話、書物など近場のものを見る
機会が増えているので、目の焦点を合わせる筋肉がそれに適応していくので
遠くのものが見えにくくなるそうな。

そうそう、よく「ビタミンAを摂ると視力がよくなる」というけれど、
あれは少し間違っているのは知っていますか?

高校で生物を勉強した人なら当たり前のことなんだけれど、ビタミンAが
作用するのは視細胞の部位。レンズを通して網膜へと映った光は、その
裏に存在する視細胞を通じて脳に届くのだけど、明るい場所と暗い場所では
機能する細胞の種類が違うのです。錐体細胞と杆体細胞っていうんだけど、
暗所で機能する杆体細胞はビタミンAがないとうまく機能出来ない、
つまり暗いところで物が見えにくいという夜盲症の原因になります。

つまりビタミンAで解決出来るのは夜盲症であって、視力回復には
全然関係ないのです。視力の低下は筋力とレンズの問題だからね。

焦点を合わせる役割をしている毛様体の筋力が低下すること、
レンズの厚みが偏ってしまうことが視力低下の原因なので、
それを是正するには普段から遠くを見るようにする、なるべく
テレビやPCの画面ばかりを見ないなどという方法しかないのですが
手っ取り早いのは、前述のモンゴルに五年くらい住んでいれば
若い人なら勝手に視力が戻ります。

で、もう一つ話題になったのが、じゃあモンゴルの人達は生まれつき
目がいいのかそれとも順応したからいいのか、つまり遺伝的要因が
あるのかどうかっていう話。

単純にダーウィンさんの自然選択説を信じるなら、集団の中で、
この場合「視力がいい」という遺伝子、まあ突っ込めば「生まれつき
目のレンズが遠いとこを見やすい厚さになってる」っていう遺伝子が
個体の生存率に関わって来る場合にその関連性は指摘出来ようとも
言う話ですがまさか目が悪い奴は死ぬなんてのはないだろうし、
環境要因がほとんどなのではないかと俺は思うのですが。


えーとつまりですね、「目が悪い奴は死ぬ」っていう環境だったら
目がいい人だけが生き残れるから、目がいい人の遺伝子だけが残って
結果的に生き残った子孫はみんな目がいい、ってなるんですけど、
まさかモンゴルでも目が悪いと死ぬなんてことはないだろう、
っていう話です。

遺伝子は生まれた時から死ぬまで変わらない(と今は言われてる)ので、
たとえ生まれた後に遠くばかり見ていてすごい目がよくなったとしても、
それが子孫に受け継がれることはないだろうということです。

まーそれはつまり家族がみな背が低い時は、自分がどれだけ頑張って
牛乳飲んだりバスケしたりしても子孫の遺伝子に背が高いっていう
情報が書き込まれることはないのです。ちょっと辛いね。
不細工が整形して美人になっても子供は不細工なのと理屈はいっしょ。
隔世遺伝か突然変異に期待するしかないね。





今日は結構濃い話題を書いたので以上!!
コメントで反論やら何やら大歓迎です。
ズバズバ書いて下さいませ。

Chao!!



posted by iNut at 19:41| バンクーバー ☀| Comment(11) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
地球環境について考えよう!って問いかける機会が設けられたことに意義があるんじゃあないですかい!?
目先のことじゃなくてもっと大きな意識改革が必要なんだよたぶん。肉を切らせて骨を断つじゃないけどさw
あくまでも個人的な意見ですけどー

おれも夜イギリスのLive earth見ようとしたらなぜか見れなくてすっごいイライラしたからコメントしてみた。こんな真面目なw
Posted by at 2007年07月09日 21:18
>どちら様か計りかねますが
肉を切らせて、ねえ…仰る通りならよいのですけど…


ちなみにイギリスのLive Earthを見ようと思ったら
ITインフラをもっと充実させなきゃいけなくて、
そしたらまた地球がぶっ壊されるんだぜ☆

Posted by りー at 2007年07月09日 21:55
>だーうぃんとか
進化生態学の教科書はなかなか興味深いぞよ◎
Posted by 鍵盤担当 at 2007年07月09日 22:20
>evolution
おお。それは今度見せてもらわねばな!
Posted by りー at 2007年07月09日 23:12
>始まりにして終わりの場所
そんな地球想いのりーさんには
linkin parkのWhat I’ve doneが超オススメです
PVと歌詞つきでぜひ一度w
というかメジャーどころだし知ってそうであれですけどw

>突然変異
いやいや遺伝子組み換えというのも(ry
性格は遺伝だと言われたりするもんですが
ツンデレは遺伝なんでしょーかねーw
あと天然もw
Posted by ルイ×2 at 2007年07月10日 03:29
テクノロジーの進化に伴う環境破壊は止まらない、なら環境破壊を止めるのも科学の進歩に期待するしかないのかなーと漠然にしか考えてなかったぜ。地球が死ぬのが先か科学がそのレベルに達するのが先かくらいのギリギリさかもしれないけど。


何にせよ自分が祈ってるだけじゃなくて行動しなきゃダメですわな!
Posted by アキラ at 2007年07月10日 04:13
>LP
もちろん知ってますよー。アルバムもMacに入ってます。
1stの頃は破壊衝動に任せたような曲ばかりだったので少々驚きましたが。

>GeneticModified
それはどうなんでしょう。でもツンデレ遺伝子とか
天然遺伝子とか見つけたら確実にノーベル賞、
最低でもイグ・ノーベル賞は貰えそうですね。

研究…してみようかな…


そうか…もしそれが発見出来たらGM技術で
人工的にツンデレが作れるのか…
いいな…それ…


>tech-tech
俺もそう思う。今のままじゃ間に合わいそうにないけど…

とりあえずエアコン消すか!
Posted by りー at 2007年07月10日 18:12
とりあえず、君の部屋の付けっ放しのパソコンを消してみよう!!ww
Posted by 3pole at 2007年07月13日 13:27
>!!!
な ん と い う 正 論 。



でも…でも、地球を救うために自らの命を投げ出すほどに俺は善人ではないよ…
Posted by りー at 2007年07月14日 08:45
世界中で環境問題がどうとか言っていますが、今私たちが便利な生活を捨て、退廃的な状況に身を投じても、地球はもう昔のように戻らないんですって。
良くて現状維持、もう下降の一途を辿るしかない。
結局目先の利益にとらわれる人間が、今より未来を考えて動いていくなんて出来ないのではないか、そんなことを思うのです。

……とりあえず、今年の夏も扇風機と団扇ですごします。
Posted by ふくのいゆず at 2007年07月17日 04:41
>downspiral
ですよねー。まあでもそれが分かってるからこそ
なんとかしないといけないんですけど、
八方ふさがりな現実だし。

とりあえずベランダに鉢植えでも置いてCO2吸ってもらいますかね。
Posted by りー at 2007年07月19日 22:57
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