2007年11月06日

西方羅馬郷 〜 Ancient Memories in Twilight.

湿り気の少ない心地よい風が肌を優しく愛撫し、
夕焼けに照らされた遺跡の影が足下に忍び寄る。

深く息を吸い込む。

肺の奥まで、身体中に染み渡るように、
この空気が何かを変えることを願いながら。

 † 

思いのほか俺は冷静だったと言えるのかもしれない。時計の針が2007年9月10日の訪れを告げると同時に飛行機に乗り込んだ時も、ドーハ―午前四時にして気温が40度を越える灼熱の街で何時間もローマ行きの飛行機を待っている時も、ローマ行きの飛行機の便の中でスリランカ人の同い年くらいの青年とお互い拙い英語で会話している時も、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港に着いた時も、格別緊張するでもなく、過剰な期待に胸を踊らせるわけでもなく、ただぼんやりと、本当に来たんだな、という感想だけを抱いていた。

空港に到着したのは夕方で、そこからローマの中心街へと列車で移動する。ひとまずイタリア語で挨拶しながらも、英語で色々と訊きながら行動。観光案内所でローマの地図を手に入れると、それを頼りに街を歩くことにした。

ドイツで見たのと同じ石畳の道とヨーロッパ風の、としか俺には形容し難い建物。しかしドイツのそれとはどこか微妙に、しかし決定的に何かが違っていて、初めて来る街という印象を強くさせた。まずは中央駅から「ローマの休日」で有名な噴水と階段のあるスペイン広場へ。とは言え、俺はその映画を見たことがないし、特に意識した訳ではないのだが、なにしろ駅からひたすら真っ直ぐ歩いていたら着いたというだけの話ではある。広場に着く頃には日も暮れて空は暗くなっていたが、階段の上から見るローマの街の灯はとても綺麗だった。

フィレンツェで落ち合う約束をしている旧友にメールを送ってから、宿を目指した。ひたすら歩いた挙句に地下鉄に乗った方が早いと決断し、地下鉄を降りた後は路線はおろか乗り方も分からないバスを乗り継いで(街の方々に大変お世話になった)、なんとか宿へ到着する。

所謂ユースホステルと呼ばれるそこは無骨な鉄組の二段ベッドが置いてあるだけの殺風景な部屋だったが、俺が行くなり先に部屋に着いていたイタリア人達が明るく俺を出迎えてくれた。彼らは英語が喋れなかったため互いに身振り手振りだったが、彼らが言いたいことくらいは理解出来たし、俺の言うことも理解してくれたようだった。しかしこれくらいは十年前にだって出来たこと。少しでもイタリア語を勉強してから来るんだったと思った。もっとも、これに似た感情はこの先ずっと感じ続けることになるのだが。

翌日、簡素な、本当に簡素な朝食を頂いてから朝早くに宿を出た。まずは宿に近いシュタディオ・オリンピコ、ASローマの本拠地へと歩いて行ってみた。ただし平日にして早朝に人がいる筈もなく、閑散とした巨大な建造物を眺めるだけに終わったが。

roma orimpico stadion

次に向かったのはカトリックの総本山にしてローマ教皇のあらせられるバチカン。早くも二カ国目である。さすがにその威容は凄まじく、長蛇の列で待ちに待ってようやく入ることの出来た大聖堂は、神の存在を証明するに足るオーラを放っていた。ただの建物を見ただけで背筋が凍る思いがしたのはこれが初めてだった。大聖堂を出るまでの間、"何か巨きな存在の気配"はずっと俺につきまとい、結局内部の写真を撮ることは出来なかった。

vaticano

その後、大聖堂の頂上まで昇ったりしたが、その途中の建物の内部の構造がDevil May Cryの世界と酷似していて感激する。バチカンの美術館を少し観覧して回った後は、Castel Sant'Angelo、"天使の城"へ。ちょっとした軍事博物館のような体裁をなしているその城は、本当に中世の城のイメージそのもので、自分の思い描いていた世界が本当にあったことにとても感動した。バチカンに着いてからはずっと歩き通しで少し疲労が溜まっていたが、構わず次はトレビの泉を目指す。

古代ローマ帝国の首都にして、地中海に面した最も大きな都市であるローマは、しかし少し裏道に逸れると観光地としてではない、人々の住む街としての姿を見せてくれた。道を挟んで窓と窓で会話するおばさん達や、街角でチェスに興じるおじさん達、せっせと夜の支度をするウェイターの兄ちゃん達にけたけたと笑い声を上げて走り回る子供達。そんなゆっくりとした普通の、日常の空気がとても素敵で、観光客にとっては危険だと知っていても裏通りに入ってみたいという気持ちを抑えることは出来なかった。そして俺は、こんな風景に憧れてここに来たんだな、と思った。

roma backstreet


道に迷いながら、標識と地図を照らして唸りながらやっと辿り着いたトレビの泉は思ったよりも普通の泉で、泉の周りに扇状に座って泉の像を眺めたり写真を撮り合ったりしている人々は、誰もいないステージに歓声を上げる間抜けな観客のようで少し滑稽に思えた。コインを投げると再びローマを訪れることが出来る、という言い伝えを来る前に聞いたが、俺は敢えてそういうことはしなかった。俺がもう一度来たいと思うローマはここじゃないと、そう思ったから。

その後は南に足を伸ばしーこの間、全くバスも地下鉄も使っていない。それはもちろんお金の節約という意味もあるのだが、せっかくの一人旅なのだからツアーや連れ立っての旅行では出来ないような旅にしようと思ったからだ―フォロ・ロマーノ、遺跡を訪れた。ここも観光客に溢れており、少しうんざりしたものの、教科書で見るような遺跡が目の前にあり、しかも想像より遥かに大きなそれは、素直に凄いと思わせるだけの何かがあった。傾き始めた夕日が巨大な石柱の影を伸ばし、その先に見える紫色の空は、過去の栄光の中に物悲しさを添えていた。

foro romano

遺跡の先には有名な古代ローマの闘技場・コロッセオがあったのだが、俺が辿り着いた頃には閉園間近でなんとかチケット売り場まではギリギリ入ることが出来たものの、すぐに追い出されると知って俺はすごすごと退散した。どうせ入るならゆっくりと見て回りたいし、例え明日の朝にローマを発つ俺が次に来れるのはいつになるか分からないとしても、何十分かのために高いお金を払う余裕はないからな。外に出て、コロッセオの目の前の花壇の柵に腰掛け、ぼんやりとその闘技場を眺めていた。福岡ドームはこれをモデルにしてデザインされたと聞いたけど、確かに似ているな…そんなことを考えていたとき、ふと声をかけられた。

俺の隣に座ったまだ若い―おそらく二十代後半くらいではないか―の男は、旅行者だろ、どこから来たんだと少しイタリア訛りの英語で話しかけてきた。日本から来た、あんたはどこから来たのかと訊ねると、彼はローマ人で、さっき仕事が終わったばかりなんだと説明した。彼は、一人で旅行してるのか、と訊ねてきた。そうだよ、ツアーは性に合わない、一人の方が気が楽なんだ、と答えると、彼は全くその通りだぜと笑いながら言った。ローマに住んでるんだろ?いっつもこんなに観光客がいてうんざりしないか?と訊ねると、まあ確かにそうだな、と彼は苦笑い。俺がいろいろと拙い英語でローマのことを聞くと色々な話をしてくれたが、彼はしきりに日本のことも聞きたがった。その中でも、日本人は何の宗教を信じているんだと言われた時は返答に困り、仏教と言えば仏教だしでもキリスト教のお祭りもやるし、神教もあると言うと彼は不思議そうな顔をするので、日本人にとっての宗教は所謂武士道だからという個人的かつ超拡大解釈を教えておいた。まあ、間違ってはいないさ。しかし道徳観念を海外の人に説明するのがこんなに難しいとは知らなかった。どうやら友人との待ち合わせまでのヒマつぶしだったらしい彼は、しばらく会話をした後に去って行った。別れ際に、いい旅を、と言われたのが少し嬉しかったね。腹ごしらえをするために俺も腰を上げる。

夕焼けが支配する古都を歩く。赤く染まった遺跡と四方に伸びる大きな道。
全ての道は…という奴だな、などと感慨深く思いながら中心街へ戻り、夕食にありつける場所を探す。一人でレストランやトラットリアへ入るのは流石に躊躇われたので、一件のBarに入ってpizzaを頼む。もちろん酒場で飯を食うなんて空気の読めないプレーであることは百も承知さ。仕方ないだろ。しかしアンチョビとモッツァのピザはそんな肩身の狭さを忘れさせる程に美味しく、お姉さんがオマケにくれたオリーブもとても美味しかった。後からやってきたアメリカ人やイギリス人と離したりしながらビールを飲みのみ、いい頃合いになった頃に礼を述べて店を出た。今日はもう帰ろう、そう思って宿を目指し、






迷った。








そもそものはじまりはバスの乗り間違いであり、同じ番号でも下りのバスに乗ってしまったがために全く見覚えのない郊外の住宅街に「終点だ」と言って放り出され(ここで冷静に運転手に戻る手段を聞くべきだった)、パニックに陥った俺は上りのバス停を探すために無謀にも電灯も少なく真っ暗な街を歩き出したのだった。街の人に聞こうにもヨーロッパの夜は早く、最早誰も外にはいない。必死に歩き回り、遠目に車の明かりを見出しては大きな道路へ出る、を繰り返してやっとバス停に辿り着いた時には俺はぐったりとしていた。今度はちゃんとバスの運転手に確認し、夜も遅い時間に昨晩と同じ宿へ辿り着く。同じ部屋の人々は既に眠っており、俺はこっそりとベッドに忍び込んだのだった―シャワーを浴びた時に洗濯したシャツと下着を干すことを忘れずに。


翌朝、会社へと通勤する人々に紛れて中央駅へ向かった。駅の窓口で、俺は次の目的地の名前を告げる。丁度数分後に発車する列車があると言われたので、そのチケットを手に入れてから、ホームへと走る。スーツ姿の丁寧な男性、まさしく紳士と呼ぶに相応しい方にどのプラットホームへ行けばいいか教えてもらってから、小走りで列車に飛び乗った。乗って間もなく動き出した列車の窓から、遠ざかって行くレンガ色の町並みを目で追った。昇りだした朝日を反射する街は、来たときとは少しだけ、違って見えた。
posted by iNut at 21:54| バンクーバー 🌁| Comment(8) | TrackBack(0) | 西方project | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自分の国のこと、日本じゃ特に宗教なんかをすっきり明確に説明できることを教養というのだろーな。。。
Posted by 3-pole at 2007年11月07日 22:34
>knowyourself
教養の定義はともかく、自分の国のことを自分の言葉で表すことはその国に住む人間として当然のことなんじゃないんですかね。まあ日本人はそういうワールドスタンダードから外れているからなんとも言えないのですが。
Posted by りー at 2007年11月08日 00:09
いやぁなんていうかすごい・・・

知らない人としゃべることができないσ(・ω・*)にはうらやましい限りですがw

一人旅は近所の隠れ料亭だけで十分だ!w

でもやっぱりちがう国は全然ちがうけど
中身は一緒なんだなと再確認w
わかりあえばそれでいいのだ!
とりあえずカップヌードルを持っていくべし!w

うんwもうすぐウイイレ発売ですw
予約はバッチリwお金は・・・

それじゃ続編もワクテカしてますよんw
Posted by るぃ at 2007年11月08日 05:11
>noodlecomunication
まあそのあたりの話についても今後の更新でおいおい書いていこうと思いますですよ!

ウイイレ発売するんですか…
今度はメッシの評価ダダ上がりの予感

お金なんてなんとでもなるもんです。
それも今回の旅で得た教訓なのですがw
Posted by りー at 2007年11月08日 13:12
お前でも迷うとはな笑

けどまだバスがあっただけマシ!!

俺は終バスで迷ったからね。。。

ちゃんと全部かきあげろよ〜!!
Posted by seu at 2007年11月08日 23:39
>lostmywayandlostagain
まあ迷子になりに行ったようなもんですし
最初は特に気にしてなかったんですけども
終点の街のあまりの暗さと人気の無さに
弱冠命の危険を感じたり。

書き上げますともさ!
Posted by りー at 2007年11月09日 00:22
おおお!いいな、いいな、いいなったらいいな!

日本人の宗教=武士道は大正解というかそうあるべきだわいなー
Posted by アキラ at 2007年11月12日 10:44
>BUSHIDO-BRUES
刀持って行っても不審がられないくらい
西洋にその概念を浸透させるべきだな。
Posted by りー at 2007年11月12日 20:21
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