2007年12月01日

西方碧散行 〜 Brilliant Blue Border.

その場所に存在するあらゆるものは、
紺碧の空から降り注ぐ太陽の光と、
そしてそれを反射した水面からの光の
両方によって激しく晒される。

行き交う船と、その頭上に架かる橋を行く人々。
そしてその周りを海から突如迫り出した
建物が取り囲む。そこはそういう場所だった。

水の都の名に恥じぬ、世界で唯一の風景。
それは一種の畏敬の念さえ感じさせられた。



 †

花の都・フィレンツェを昼過ぎに出た列車は、夕刻の太陽も沈みかける頃に終点へと辿り着いた。ボローニャ。こちらもまたかの中田英寿が在籍したチームの本拠地である。日本ではガイドなどで特に紹介されることのない小さな街だが、フィレンツェで再会した旧友・Hinaが「とてもいい街だから是非行くべきよ」と言うので、同じ街でもう一晩過ごすよりは、と思いやって来た。

しかし、ここでまたしても問題発生。

ローマやフィレンツェは最初から行くつもりだったので、宿などの最低限の情報は予め調べていたのだが、ここボローニャは予定外。つまり街を歩くにも宿を探すにも、何も情報がない。そもそも今回の旅は地図やガイド本を一切持ち歩いていないので、地図も現地調達である。となれば、まず街に着いたらtourist informationを訪ね、地図を貰って宿の場所を聞く、ということをしなければならないのだが…

Open 10:00-16:00

そして現在時刻は、16:10分を過ぎたところ。嫌がらせか。


 †


困り果てた俺は、ひとまず駅の周辺で他に何か情報を得られそうな場所はないかと歩き回った。しかし、小一時間街のあちこちを歩いたにも関わらず、宿の場所はおろか街の地図さえ発見出来ない。一体どうしたものかと悩み、仕方なく、あまり使いたくはなかったのだが奥の手・秘密兵器・困ったときの切り札を出すことにした―携帯電話である。ウェブで検索検索、デバイスさえあれば俺に不可能はないぜ!と宿の場所と電話番号その他を手に入れる。O.K.あとはこの場所へ向かうだけだ!

と、そんなことを駅前のロータリーにある小さなベンチでやっていると、声をかけられた。見ると、数人のおっさん達がケラケラと談笑しており、そのうちの一人が少し訛りのある英語で話しかけてきてくれたらしい。どっから来た、何してんだと言うので、無謀にも一人でイタリアを北上してる、今晩の宿を探してるんだが行き方が分からんと説明する。すると、ちょっと貸してみろと俺のメモを見ると、そこにいたおっさん達で会議が始まった。

なかなか終わらないイタリア語の会話を必死に聞き取ろうとする俺を見て、何を思ったか話しかけてくれたおっさんは「ちょっと待ってろ、すぐに教えてやるから」と言う。オーケー。教えてくれるならいくらでも待つぜ。すると、会議していたうちの一人が俺の方を指差して何か言っている。それに応えた他の誰かが、皆で飲んでいたらしいワインをコップに注いで俺に手渡してくれた。え?え?「飲め、美味しいやつだぜ」と英語のおっさん。マジで?匂いを嗅ぐ。変な匂いはしないな。少し飲む。げ、滅茶苦茶美味いぞこれ。こんなとこでこんな上等のワイン飲んでていいのか?などと俺が考えていると、どうやら会議の結論が出たらしい。「2番のバスに乗るんだ。あそこのバス停だな。途中で乗り換えないといけないけど、バスの運転手にここに行きたいって伝えれば乗り換えの場所を教えてくれるぜ」

何度もお礼を言って、ワインのお礼も言うと「いいっていいって!気をつけろよー!」とおっさん達はみんな手を振ってくれた。俺がボローニャに住むことを決めた瞬間である。少し不用心過ぎるかと思ったけれど、それ以前におっさん達が良い人過ぎた。イタリアって素敵な国だな…と感激しながらバス停へと歩き出すと、今度は別の若い兄ちゃんに声をかけられた。「ドラッグいらないか?1$でいいぜ」いや、そういう親切は別にいいです。やっぱりイタリアはイタリアだった。

短くない時間バスに揺られた後、無事に宿に着く。receptionで今晩一晩泊まりたい旨を伝えると、少し難しい顔をされた。「予約は?」いや、ないけど。「ベッドが空いてないかもよ…」とお姉さん。なに、それは不味い。こんな田舎まで来てそれは悲惨だぜ…「あなたラッキーね。最後の一つよ」お姉さんは笑いながら鍵をこっちに手渡した。ありがたや。

六人部屋には既に他の五人が到着しており、アジア人は俺だけ。向かいのベッドのオーストラリア人コンビとドイツ人の兄ちゃんと話をすると、彼らもヨーロッパを巡っているらしい。同じこと考える奴は世界にごまんといるってことだな。ちょこちょこと情報交換をした後、シャワーを浴びて、下着やシャツを風呂場で洗って、持ってきたロープで干して、就寝。

翌朝、簡単な朝食を摂った後、バスで再び街の中心へ。駅へ戻るバスの途中で降りて、歩いて駅まで行くことに。途中、大きな広場いっぱいにテントがぎっしり立てられて土曜市が開かれていたので覗いてみたが、日用品ばかりだった。お土産になりそうなものがあれば買おうかなとも思ったが荷物になるのでやめておく。途中、tourist informationで地図を手に入れ、それを見ながら街を歩いた。昼飯はミネラルウォーターとパニーニだぜ。しかしこんなファーストフード紛いのものがこれほど美味いとは。さすが美食の国と言わざるを得ないな。

Borogna - Canton De' Fiori.jpg

朝から一通り街を歩き回り、気に入った風景の写真を撮っていたが、小さな街であることもあってお昼にはもう街を歩き尽くしてしまった。そういうわけで、昼過ぎの電車に乗ってさくさくと次の目的地を目指すことに。

CIMG1013.JPG


 †


ぼんやりと列車の窓の外の風景を眺めながら―まさしく"世界の車窓から"のような風景を目で追っていると、次第に景色が変わって行く。やがて遠く水面から反射する光が見えるようになり、列車は海へと近づいていく。そして、列車は大きな橋を渡り―次の俺の目的地へと滑り込んだ。俺は胸を躍らせながら駅を駆け抜け、外に出ると、目の前に待ちこがれた光景が広がった。

街の中心をぶち抜いて走る水路、その上を行き交う船。
水の都、ヴェネツィア。"海の上の街"。

「ほんとに海の上に街がある…」と思わず口に出してしまった俺を誰が責められよう。それは写真やテレビで見たことのあるようなヴェネツィアとは似て非なるものであり、そこには「本物の」ヴェネツィアがあった。圧倒されることしばし、駅の前の階段に座ってしばらく街の様子を眺めていた。…観光客多いな。

CIMG1017.JPG

ひとまず街の中心らしいSan Marco大聖堂を目指すことに。簡単なメモ以外にまともな地図もないのだが、どうやら細い路地が相当に入り組んでいるらしく、果たして辿り着けるのか…と不安になりながらも街の中へと入って行く。駅の簡単な案内によるとおそらく地図があるだろうtourist informationは駅からずっと遠くにしかないらしい。高い建物に挟まれ囲まれ、途中走る水路の橋を渡り、建物の壁にちょこんと張り付けてあるだけの矢印を頼りに、一抹と言うには少な過ぎる不安を抱えながら歩いて行く。しかし、ちゃんと出られるのかというもはや恐怖に近い感情を除けば、この迷路は素晴らしい光景がたくさん広がっていた。路地と水路と建物が囲む空間は怖いくらいの美しい構図を生み出し、そこら中に写真集の1ページが転がっているのだった。

CIMG1021.JPG

不安と少しの冒険心を胸に、細い路地を辿って行く。たまに矢印を見失うこともあったのだが、そんな場所には必ずスプレーの落書きでグラフィティ風味に「San Marco→」と描いてあるのだった。最初はブラフなんじゃないかと疑ったものの、それを辿って行くと新しい矢印看板が見つかるのだから親切な不良もいたものだと感心する。そうして辿り着いたSan Marco広場は…


ハトだらけだった。


迷わず通過を選ぶ俺は鳩嫌い。汚いからな。かなり広い広場…50m*200mくらいの長方形の広場なのに、半分以上の石畳はハトに埋め尽くされて見えないのだ。著しく気分を害した俺は、自分の身体の上に乗りまくるハトに喜ぶ少年に「帰ったらすぐにシャワー浴びろよ」と小声で忠告する。勿論日本語で。沢木ならきっと彼の姿は見えないに違いない。

大運河沿いにあるその広場を出て、運河に沿ってあちらこちらを歩いて回る。観光名所たる"溜息の橋"、その昔留置場へ送られる際に渡ったと言われる橋も見物したのだが、ハトと観光客の多さに溜息が出た。まさかイタリアに来てまでこのセリフを言うことになろうとは思わなんだぜ?英語で言うならOh,boy...といったところか。だが日本語じゃないとこの感情は表せないね。
やれやれだ。

有名なヴェネツィアの仮面を売る出店や、綺麗な風景画を売る画商などがそこらじゅうに居た。それらを横目に見ながら、俺は先程買ったパニーニを食う。値段の割にはボローニャで食べたものとあまり変わらないな、と思いながら観光地プライスという概念を思い出す。畜生。運河脇に腰掛けて軽い夕食を終えると、地図と宿を探すためにtourist informationへ向かう。

「2ユーロ50セントです」

何を言ってるんだ。他の場所は全部タダでくれたぜ。タダの地図をくれよ。「いいえ、タダの地図はありません」冗談だろ?観光案内所のお姉さんと呼ぶにはギリギリ感が漂う女性は非情にも地図の対価として俺にシルバーとゴールドのコインを要求したのだった。しかしあれだけ入り組んだ道を回ろうと思ったら地図がないと無理、というのも事実…仕方なく2.5ユーロを払って地図を買い、宿への行き方を教えてもらう…宿のある島へは橋がかかっていないので船に乗らなければならないらしい。Damn.ブツブツと文句を言いながら案内所を出て、運河沿いのベンチで地図を広げた瞬間、俺は自らの失態を悟った。そこには文字通り本当に迷路の図が書いてあるだけで、こんなもん地図があったって同じじゃねえか。ロクに目印もなく入り組んだ細い道だけが書いてある地図に安くないお金を払ってしまったことを後悔した。さらにヴェネツィアの呪いは俺を襲う。宿へ向かう水上バスの乗車賃は、7ユーロもするのだった。さらには宿自体もイタリアにしては最高値の20ユーロ。もう嫌だ。

宿でお金の計算をすると、この時点で持ってきたお金の半分近い額を使っていることに気付く。一体何にそんな大金を…と思い返すと、日々の昼食の積み重ねと、なによりフィレンツェでHinaと豪遊豪食した時の経費であることが判明。これからはもっと倹約しないと…

翌朝、朝食を摂っていると同い年くらいの日本人の青年に声をかけられる。彼はこの後、ドイツに入ってかの盛大なビール祭り、オクトーバフェストへ行くらしい。ちょっと羨ましいがドイツには去年行ったしな。

朝食を摂りながらぼったくりの地図を眺めていたが、どうやらヴェネツィアはそれ自体が観光名所なので、細部には特に見るべき場所はなさそうだと思った。ムラーノ島やブラーノ島へも行ってみたいと思ったがどうやら少々頭の血管を犠牲にしなければならない程度のお金がかかると分かったので、それはまた今度ということで自分を納得させる。せいぜいその時までにこの街が沈んでいないことを祈るばかりだね。

そして水上バスで直接駅へと戻り、次の目的地への列車を予約する。少し時間があったので、駅前の階段に腰掛けて街を眺めていた。確かに、噂に違わぬ美しい街だった。ハード的には、ね。ソフトは…

最悪だな。


CIMG1037.JPG
posted by iNut at 13:54| バンクーバー ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 西方project | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ちょっと追記&近況報告

weblogの方が疎かになっており大変申し訳ないです。
最近の俺はというと平日は研究室でサッカー談義、
週末は学祭やったり学祭行ったりまたしても一人旅に
出たりと大忙しに似た遊び人です放蕩息子です。
12月には「何も予定はないので」コミケ行こうかな…
と思ったら貯金が底をついていたり。
しばらくは旅日記が続きますがご容赦下さい。


あとこんなところではございますが、
るぃ嬢お誕生日おめでとうございます。
俺の記憶違いでなければ今日だったような…
Posted by りー at 2007年12月01日 14:02
お前いい写真撮るなぁー。。。この日記?の2枚目の写真が力抜けててなんか好きやなぁ。

ちなみにHinaさんの日本語と一緒で、日本語以外の言語を操る人の日本語って少し違うよな〜。本読んでて思ったわ。


続編期待しときます笑
Posted by 3ぽーる at 2007年12月02日 19:23
>photosence
おおありがとう。写真の構図には結構こだわりがあるんだぜ?
ちょっと”世界の路地裏100”を意識してるけどなw

文法構築だが、これってちょっと面白いよな。
単語ありきではなくて、まず伝えるためのラインがないと
情報は伝えられないってことなのかねー

続編鋭意執筆中です。乞うご期待。
Posted by りー at 2007年12月02日 23:36
やー、面白いw
雰囲気超伝わってますよ!w

次回はいよいよさkk(ry

誕生日ありがとうございますw
ばっちり合ってますよw

ちなみにお財布はまだ帰ってきてませんw
被害額は諭吉2.5人分・・・
やれやれだ!
Posted by るぃ at 2007年12月03日 18:02
>るぃ嬢
おーあってました!?俺の脳味噌もまだまだ現役でいけますねw
面白いと思って頂ければ何よりでございますよ…
るぃさんみたいな古参の方にそう言って頂けるのが
何よりの励みでありますです

ええ!次は遂に!
っていうか今書き上がったんでうpしました!

財布戻って来るといいですねー…
諭吉二人半…俺の全財産といっsy(ry
Posted by りー at 2007年12月03日 18:15
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