2008年01月19日

西方百年尖塔 〜 Unbuilded Temple See Everything.


勝てるカードを持ちながら、無謀な策で不意にする。
そんな輩はいつだって、勝利の女神に嫌われる―。

朝靄の霞む海辺の朝、海鳥の鳴き声で俺は起き上がる。
少し寒い。ちゃんとした睡眠をとらず妙な姿勢でいたためか
体が凝り固まっている。しかし、昨晩からの悪夢の連続で
参っている俺は朝の体操も億劫で、しばらくそのまま
ぼんやりと海を眺めていた。

心身共に最悪のコンディション。昨晩の事も多少吹っ切れたが
やはり愚かしい我が身を呪いたい。ていうか死ね。今すぐ死ね。
いくら行き当たりばったりの旅と言っても無謀にも限度がある、
ケチらず時刻表を買えばこんなことにはならなかった筈だろう。
眼前に広がる薄い灰色の空と、紺色の暗い海の代わりに、
南フランスの長閑な景色を想像しかけて、やめた。

溜息をつく。
俺が憧れたバルセロナの第一印象は、最悪だった。





とは言え、そんなことを言っていてはカタルーニャ人に殺される。
何が悪いって俺が悪いのだから街を恨んでも仕方のない話であり
俺は街が動き出す頃合いを見計らって海辺のモールを離れることに。

ちなみに、夜半俺がモールの隅でもそもそと動いていた時、
アレに乗った警官が近づいて来て、この辺は大丈夫だけれど
街に出ると危ないから荷物を手放すなよ、と言ってくれた。
追い出されるかと思ったがそんな心配までして頂いて恐縮だが
やはり街は危ないのかとヒヤヒヤしたりする。

なんとなくバルセロナでは呪われている気がして、俺はさっさと
次の目的地へ行きたかった。だが今日発つと体力的にヤバいし、
今夜ばかりは宿に泊まりたい。夜行バス、ましてまた野宿では
俺の墓石にスペイン語が刻まれかねない。百歩譲ってそれは特に
構わないとしても、加地さんの背番号が墓に記されるというのも
あまり光栄ではないし。宿の確保をしてから、翌日に出発する
コースを計画し、そのために駅へ向かう。

駅で夜行バスについて訊ねると、駅の外にバスの事務所があるから
そこへ行けと言われる。次の目的地へのバスを予約してチケットを
発行してもらい、次は宿へ。空き部屋が埋まる前に早い時間から
予約しておかなければまたしても潮風のシーツで眠らねばならん。

あれだけ電車に酷い目に遭わされたので、バルセロナでも地下鉄に
乗ったら負けのような気がして、全行程を歩いて行動してやった。
しかし、今まで訪れたどの街よりもバルセロナは巨大で広大で、
歴史ある都市というよりは近代的な大都市のイメージが強い。
さらにイタリアやスイス、去年訪れたドイツなんかはその街の
雰囲気というのがしばらくすれば掴めるものだが、この街では
それが難しい。色んなものがごちゃ混ぜになっていて、それに
無理矢理仕切りを入れたような、そんな印象を持った。

街を歩いていると、無料の新聞をくれたので何か情報はないかと
目をやると一面トップにメッシの笑顔、昨晩の試合でリヨンを
3-0で叩き、さらにアンリも復調の兆しという記事があった。
スペイン語だろうとサッカーの記事なら読める俺は真の蹴球馬鹿。
まあ観れなかったのは悔しいけれど、勝ったのなら良しとするか。
これで負けていれば俺はさらに凹まされるところだ。

昨晩アラブ人街に迷い込んだりしていた例の中心街へ行くと、
夜の陰険さとは全く違う、華やかで賑やかな街の姿があった。
こうも変わるものかと感心しながら、昨晩追い払われた宿で
一泊分部屋を予約し、どうせだからとただでさえ少ない荷物を
ロッカーにブチ込み鍵をかけ、手ブラ同然で街へ繰り出した。

宿で手に入れた地図を頼りに、中心街の大通りを北へ向かう。
途中ナイキストアに興味本位で入ってみると、当然のように
バルセロナのグッズやユニフォームが沢山置いてあった。
こんなにあっても旅行客や一部のファンしか買わないだろ、
そう苦笑しながら外に出て、改めて人々を眺めて気付いた。
Tシャツ、鞄、時計、タオル、バッジ、キャップ、etc。
この街にはFCBのエンブレムを最低一つは身につけなければ
いけないという法律があるらしい。

バルセロナは京都や札幌のように何本もの道路が東西南北に
交差している―ただし規模はそれらの比ではないけれど。
道路に沿った中心街の北の端から東へ曲がってずんずん歩く。
これだけ単調で分かりやすい街なら、今度ばかりはきっと
迷子になることもないだろう。まあ、案の定フラグなのだが。

辿り着く。バルセロナのシンボルとも言うべき存在にして、
偉大なる建築家ガウディの"現在進行形"の作品。
Sagrada Famiria.

Barcelona - S.F. #07.jpg

観光客で賑わうそこは確かに観光名所でありその知名度の
いかほどかをすぐに知ることは出来たのだが、どうにも
俺は拍子抜けしてしまった。というのも、これはやはり
日本人的な感覚だと思うのだけれど、京都なんかの寺院の、
参道があり、鳥居をくぐって、境内をずっと歩いた先に、
本堂がどっしり構えているというお寺の"あるべき姿"が
俺の中にはあって、当然"聖家族寺院"もそういった形式に
従っていると思いきや、団地の連なる大通りを歩いていたら
突然ズガンと生えていた。そう、生えていたのだ。
心構えも出来ないままに不意打ちされたというか、
あまりにも日常と非日常の境目が唐突に過ぎるというか。
そんな俺の混乱を余所に、人々はキャッキャと騒いでいる。
…なんか居心地悪いな。

寺院の正面にある公園のベンチに腰掛け、「今何処にいるの?」
という母上からの海を越えたEメールに寺院の写真だけ添付して
送信。そもそも寺院が滅茶苦茶巨大なので足下の公園からでは
見上げると首が痛い程だ。寄って来る乞食を手を振って追い返し
(俺とそう年の変わらないように見えるその女性が、俺に話かける
少し前にブランドものの鞄を友人に預けているところを俺はしっかり
見ていた)、のんびりとガウディおじさんの趣味の建築を見る。

俺はあまり予備知識を持たずに来たので、日本の人々がこの寺院に
どのようなイメージを持っているのかは良く解らないのだけれど、
某泥水珈琲のCMで使われていたような事例を鑑みるに、どうも
東洋では勘違いされているような気がした。勿論それは俺だけかも
しれないけれど、サグラダ・ファミリア寺院というのは何かこう、
もっと質実剛健な、車で言うとメルセデスのようなそんなイメージを
持っていた。しかし眼前にあるそれは、遠目に見た立派な尖塔よりも
細部に彫られた奇妙な彫刻や、尖塔の頂に添えられたカラフルな向日葵、
芸術というよりも何かしらシュールな冗句のような印象の方が強い。
なんとなくガウディおじさんは人を小馬鹿にしてケラケラ笑うような
そんな人だったんじゃないか、と思えた(すいませんガウディさん)。
中に入ろうかな、と思ったがボッタクリ同然の入場料金に唖然として却下。
この建物、なんとなく好きじゃないし。貧乏人の僻みのようなセリフを残し
俺は裏に回った。

お土産屋があった。実はここまで何のお土産も買っていない、それは荷物が
増えてしまうからという理由なのだが、何かかさばらないものがあればと
入って探していると、カラフルなモザイク模様のドラゴンのお土産が
たくさん置いてあった。それを見て思い出す。確かガウディ作の公園が
バルセロナにあった。そこはタイルで彩られたベンチやら何やらが
あって、とても素敵だとどこかでバックパッカーに聞いた。行ってみるか。

適当にお土産を掴んで(もちろんお金は払った)、外に出て地図を広げる。
その公園ーPark Guellは、バルセロナ市街地のずっと北の方だった。
距離はありそうだ。地下鉄に乗ろうか?…バカバカしい、歩こう。

Barcelona #04.jpg

のんびりと歩きながら街の様子を観察していると、だんだんと気分も
落ち着いて来る。街の中心を外れると、やがて日常の匂いがそこらに
感じられるようになって、街を歩く人達の表情からは特別なことは
なにもない、今日が普通の日だということが伺えて何故か安心した。

ずっと北に歩き続け、単調な道の繋がりだから、と油断して、迷子

ショートカットしようとして案の定袋小路に詰まる。どうして俺は
こうも学習能力がないのだろうと頭を痛めながら、まあこれも一人旅の
醍醐味だよと意味不明な言い訳をしながら来た道を戻る。再び公園を
目指して坂道を登った。

Barcelona #08.jpg

それまでは静かな裏路地だったのが、公園についた途端に人、人、人。
流石にガウディパワーは凄いらしく、それまでの静けさが嘘のように
公園には人が溢れていた。入り口では奇妙なパフォーマー達が何かを
していたが、中心街で既に見飽きていたので素通りして、公園を回る。
意外に大きな公園のようで、随所にガウディの妙ちきりんなモチーフや
オブジェが立っていて、やっぱこのおっさん趣味悪いなあと呟きながら
てくてくと公園の最北を目指した。

坂の多い公園の頂上に着くと、そこにも何やら珍妙な家のような建造物。
「のような」というのは、ガウディおじさんだけに本当に家なのかどうか
疑わしいからなのだが、その前の広場でバルセロナの街を一望しながら
俺は途中のスーパーで買った珈琲牛乳とマフィンをもぐもぐ食べる。
公園を往く人々を観察していると、どうやら地元の人も結構訪れて
いるらしい。ある人はランニングを、ある人は犬の散歩に、またある人は
塀に腰掛けてお菓子を食べていて……この基準だと俺は完全に地元民だな。

Barcelona - Parc Guell #06.jpg Barcelona - Parc Guell #08.jpg

モザイク模様のベンチやドラゴンの噴水とそれに喜ぶ小さい子供達を見て、
俺はあの馬鹿デカい寺院よりもこっちの公園の方が好きだな、と思った。
ひとしきり歩き尽くして、満足したので日がくれる前に帰ることに。
帰りしな、お土産屋さんのショーウインドウにモザイク模様のVespaが
飾ってあって、バルセロナ人をちょっと見直した。
大通りを避け、街の細い道を辿って宿へ戻る。

Barcelona - Parc Guell #10.jpg

部屋に戻って荷物の整理をしていると、アジア系の青年がやって来た。
インドネシアから来たという。ノリがよく、英語も話せたのですぐに
打ち解けてあれこれ話をする。スペインに以前住んでいたことがある
らしく、スペイン語も話せるらしい。マドリードに住む妹に会いに行くと
語る彼。何故バルセロナへ?と訊ねると、彼はブラウグラナの背番号10を
取り出してニヤリと笑った。

どうりでウマが合う訳だ。

その後、京都から来たという日本人も来たのだが、英語が大層苦手らしく、
マトモに喋れない彼を交えて会話。通訳紛いのことをするのは初めてだぜ。
それにしても彼は結構ヨーロッパを回っているらしいのだが、よく死なずに
今までやってこれたなと逆に感心する。

その後、メキシコ人のおっさん登場。昔メキシコにも住んでいたという
インドネシアの青年(一体何者だろう)とスペイン語で意気揚々と話しだす。
京都の彼の視線に気付いた。俺を見るな。流石にスペイン語は無理だ。

さらにその後、オーストラリア人の青年登場。デカい。ものすごいオセアニア
訛りの英語で話されてよく聞き取れないが、必死に会話する。最早通訳をする
余裕などないので京都君は放置だ。会話の内容はと言えば、お互いの国について
あれこれ話したり、同じくヨーロッパを旅する彼らと情報を交換したり。
(「ロンドンって寒い?」「あー、今頃は最悪の天気だろうな」「マジかよ」)
有益な話からもう忘れてしまったようなどうでも良い話まで。ここでもまた、
自分の言いたいことがうまく表現出来ない苦しさに苛まれたりする。やはり
この辺りは海外に住まないとどうしようもない感があるよなあ…

夜を過ぎてから、皆それぞれ次の日のために眠った。
眠る間際に、こんな狭い部屋に日本人、インドネシア人、メキシコ人、
オーストラリア人と地球上のいろんな場所の色んな人種が集まっているのに
みんな同じベッド、同じシーツで寝るんだなと考えて、それが何故か少し
可笑しかった。

posted by iNut at 02:23| バンクーバー ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 西方project | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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