ある時は豪華絢爛な文化の中心、ある時は思想の転換期となる
革命の舞台となり、今もなお人々の憧れを集める華の街として
ヨーロッパを代表する都市。
巨大な門へと通じる大きな道路、高く聳える鉄の尖塔、
街のシンボルとして広く知れ渡ったそれらの姿は、
しかし華やかな街の顔の裏に秘められた様々な思いを
凝縮して、灰色の空へ映り込む影に映し出していた。
バルセロナを夕刻に出発したEurolinesのバスが次の目的地へ着いたのは、
翌日の昼前だった。かなり長い時間バスに乗っていたことになるが、
俺はのんびりと外の街の様子や延々と広がる小麦畑を眺めていた。
マドレーヌ食べながら。
何しろバルセロナを出る前に"Ultra Market"で買い込んでおいたからな!
Superなんて目じゃねえという店の心意気がひしひしと伝わって来る素敵な
値段設定。バルセロナ中央駅の目の前にあるというこの立地の良さの割に
全国の主婦(主夫)大歓喜な品揃えと安さを誇る(であろう)この店で俺は少々の
物資調達を行う。やはりバックパッカーに必要なものは鉄道パスではなく
スーパーマーケット地図ではないだろうかと思う。
バルセロナからの長時間のバス旅行を終えた俺は、バスターミナルから
外へ出た。目的の街から少し離れた都市外縁の住宅街、その中を歩く。
かなり複雑な道路構成になっていたので、頭を捻りながら地図を眺め、
親切にも声をかけてくれた人々に道を訊ねてやっとのことで地下鉄の駅へ。
外縁から中心へと向かう地下鉄に乗り、宿の最寄りの駅で降りた。
行き交う人々、通りを走る車は案の定PEUGEOTやRENAULTが多い。
今までに訪れたどの街とも違う、美しいけれどスタイリッシュとは違う、
どちらかというと装飾華美なイメージの強い街。
フランス、パリはそんな街。
*
ここからは少し裏話的なストーリーになる。
Eurolines Coach Terminalに着いた時に、次の目的地への
夜行バスを先に予約しておくべきだと思ってバスの便を訊ねたのだが、
鉄道で行くよりも安価な夜行バスは人気であるらしくovernightの
便は満席だった。パリの次は最終目的地、そこからの帰国の飛行機に
遅れるというのは流石に洒落にならないので、泣く泣くその前の便の
昼過ぎに出て夜遅くに目的地に着く便を予約した。つまり、パリに
滞在出来るのは僅か一日。何故か構内ではIevan Polkkaが流れていたが、
郷愁に浸る間もなく(ポーランド民謡で祖国を思うというのも変な話だ)、
俺はこの短い時間でどうパリを楽しみ尽くすかという作戦を練っていた。
さらに、当初滞在する予定だったホステルへまず行くとこちらも
Fully Bookedだと言われてしまう。呆れるほど男前な受付の
若い兄ちゃんは困り果てる俺に、別のホステルに訊いてみよう、と
電話をしてくれ、他のホステルの場所を教えてくれた。
男前な上に親切だと来たもんだ。俺が女だったら惚れない道理はないな。
イタリアの兄ちゃん達みたいな色気はないけどフランスの兄ちゃんも
なかなかに格好いい、というかパリだからなのか、やたらとお洒落だ。
イタリア兄貴ももちろんお洒落だったのだが、彼らはどちらかというと
シンプルな格好よさ、パリの兄ちゃんは味付けの巧さという雰囲気。
料理に似ているなあと思ったり。料理と服飾の話はいずれ書こうと思う。
そんな経緯で俺は街の中心へとやって来た。
ハンサム兄さんが紹介してくれたホステルは本当に街のど真中で、
パリ三区の東側のPlace de la Republiqueから通り一本入った場所。
貰った地図と兄ちゃんがくれた住所の紙を照らし合わせながら、
見つけたそのホステルは典型的なフランスのアパルトマン。
通りにぎっしりと車が停めてあるその光景に心打たれながら
俺は扉を開け、受付へ向かい、
天使に出会った。
顔立ちは整っているが、モデルのような美人という訳ではない。
親しみやすい顔だが、庶民的で平凡な美人という訳でもない。
それなのに、それなのにとてつもなく魅力的な女性がそこにいた。
受付のお姉さんに一瞬で心を奪われた俺は年甲斐もなく緊張する。
目眩がした。フランスのホステルは美男美女でしか勤まらないのか、
それともフランスの人々は皆これくらいが標準なのだろうか。
いずれにしても、日本の歴史があと5000年続いてもこのお姉さんより
素敵な女性は生まれないだろうという確信があった。その辺の日本の
モデルや芸能人だってこのお姉さんの前には幼稚園児も同然だろう。
それくらい、破壊的なまでに魅力のある人だった。
部屋空いてますか、とただでさえたどたどしい英語を
さらに震わせながら訊く俺。情けない。
「もしかしてさっき電話かけてきたのはあなた?」
気取らないフランクな口調、フランス訛りの流れるような英語。
この人が話すとフランス語が地球上で最も美しい言語だと呼ばれる
由縁も分かる気がする。そうだよ、と答えると、一晩だけで
いいのよね?と訊かれた。
ええとあの、世間が許せば一生ここに居たいです。
しかしその時の俺はそんな気の利いた冗句を英語で咄嗟に言える程
人間がデキていなかったので、渋々といった表情を隠しつつ"ウィ"。
泣きそうだ。
ちょっと待ってね、書類を書くわと言って紙にペンを走らせるお姉さん。
その御姿をじーっと眺めていると、ばっとこちらを振り返った。
「音楽うるさくない?」
PCに繋がれたスピーカーからはファンク系のバンドサウンド。
僕もこういう音楽は好きだよ、と何とか返した。今だ、笑え俺。笑顔成功。
「そう?」特上の笑顔を返された。ああ、今なら後悔なく死ねる。
ホステルのルールなんかを聞く。世界共通のホステルのルールは勿論
もう知り尽くしているが、敢えて知ってるから大丈夫だと言うことは
しなかった。当然だ。パリに滞在出来る時間は長くはないが、この
お姉さんと喋っていられるならモナリザなんか見なくても構うもんか。
ひとしきり話を聞いてから、礼を言って部屋へ上がる。するとまた
このホステルの部屋が小綺麗でお洒落で可愛くてもうパリ最高!
やはりローマのホステルはあれは刑務所だったのではないだろうかと
旅の最初の目的地がイタリアで良かったと思うのと同時に、パリに
もっと長く滞在するべきだったと後悔しきりである。flexibleな
NO PLAN一人旅の弊害がまさかこんなところにあるとはね。
部屋のベッドに鞄をくくりつけると、地図と財布だけを持って
早速パリの街並を見に行くことに。下に降りると、受付が
おっさんに代わっていた。ちっ。
*
Republique広場からRue de Templeをまっすぐ中心へと向かい、
途中日本で読んでいた雑誌に乗っていたスタイリッシュ本屋さんに入ったり。
天気もよく往来の人も多い。観光客らしき人々も多かった。
あれだけお決まりの観光コースを行くなんて糞だと言っていた俺も、
ホステルのお姉さんの魅力の前に素直になったのか、やはりここは
Louvreに行かぬ訳にはいくまいと美術館を目指した。
閉館まで二時間程度しかない昼過ぎで、間違いなく全てを観ることは
不可能だ。割り切って有名どころや興味のあるところをまわることに。
やはりモナリザか、とあのミケランジェロの世紀の問題作をこの目で
しかと眺めるべく中世西洋絵画のフロアへ。そこへ向かう途中で、
有名なサモトラケのニケを見た。ナイキのブランドマークのモチーフに
なったとも言われる勝利の女神は、跡形もなく胴と翼だけを残した
無惨な格好だったが、それを見た瞬間バチカンで感じたあの背筋が
凍るような何かと同じ感覚を味わった。自然に、ああ、これには
"何か"があるんだろうな、ということを理解した。凄まじい迫力、
という程ではないけれど、何故あんなボロボロの石膏像がこれほど
もてはやされているのだろうという俺の昔からの疑問を吹っ飛ばすには
十分過ぎる程だった。考えてもみれば、そもそもあれほど原型を
失った像に価値が見出されるのにはそれなりの理由が必要だし、
そしてそれがあるからこそこれはここにあるのだ。そう納得もした。
うまく伝えられないけど、実際に見た人にしか分からない感覚だと思う。
そのままギリシャ美術のフロアを上に登って(ミロのヴィーナスは
イマイチだった。尻が美しくない)、西洋の宗教画の大回廊へ。
有名なものだとナポレオンの戴冠式の絵から、聖マリア様の
受胎告知のような多くの画家に描かれたメジャーな題材まで、
大きさもA3強程度のものから見上げる程大きなものまで様々。
しばらく見蕩れていたが、あまり時間がないこともあって
てくてく歩きながら、気になった絵はよく眺めて、を繰り返した。
そうこうしている内にとある部屋に入ると、そこには人だかりが出来ていて、
そしてそこにはモナリザおばさんが居た。
第一印象は「遠い」。別にミケランジェロと俺の精神性について、ではない。
モナリザだけ3m半径くらいの柵で囲まれていて近づこうと躍起になる人々を
警備員が牽制していた。物凄い高さのある巨大な壁にちょこーんと一枚だけ
掛けられていることもあり、カリスマも糞もあったもんじゃない。
少しがっかりした。
モナリザを抜け、フランス絵画のフロアへ行く頃には閉館時間が
近づいていた。こうしてはおれない、とダッシュで全てのフロアを
駆け抜ける俺。どうしても一つだけ見ておきたいものがあったからだ。
それは何かというとかの有名な、ハムラビ法典。
楔形文字で書かれた現存する歴史上最古の法典の一つ。
「目には目を、歯には歯を」でよく知られているこの閃緑岩の
オブジェは、予想以上に巨大だった。俺の身長と同じくらいは
あるだろうか。しかし小学生くらいの頃から古代文明の発掘の
本を読み漁り憧れていた俺は感涙しきりだ。正直に言うと、
モナリザよりこっちの方が感動した。ロマンだよなあ。
ちなみに、よく「楔形文字の方がまだ解読が簡単だよ」なんて
ジョークをよく使う俺だが、当然法典は読めなかった。
他にも数えきれないくらい沢山の有名な彫像や絵画、その他
諸々の美術品が飾ってあったのだが、残念ながらタイムアウト。
警備員のおっちゃんに追い出された。
もっと早く来るべきだったと後悔しながら、駆け回って疲れた
足腰を休めるためにピラミッドの前に座っていると目の前の
お姉さんがiPhone使ってやがった。いいなあ。
陽も傾き始めて、過ごしやすい時間帯になってきた。
ルーブルから一直線に西へ行くと、コンコルド広場から
シャンゼリゼ通り、そして凱旋門と日本でもお馴染みの
パリの風景が続く。俺はひとつ絶対に踏まねばならない
場所を思い出し、観光客相手におまじないのミサンガを
売りつけようとする兄ちゃんを追い払ってまっすぐと
美術館の前の公園を抜けようと歩き出した。
「写真を撮ってくれない?」と声をかけられる。振り返ると、
一人の兄ちゃんが底抜けに明るい笑顔でカメラを指差していた。
勿論、とルーブルをバックに撮って差し上げると、陽気な彼は
凄い勢いで話し始めた。負けじと喋る俺。彼も同じくバッパーで
彼はブラジルから来たという。またブラジルか。俺はどうやら
南米に運命的な何かがあるらしい。
旅っていいよなあ!と本当に楽しそうに言う彼を見ていると
こちらまで楽しくなるから不思議だ。一通り話してから、
お互いの旅の無事を祈り合って別れた。そうだな、旅は最高だ。
そして俺はコンコルド広場に降り立ち…
オベリスクを目にした。
「パンがないならお菓子を食べたらいいのに」であまりに有名な
マリー・アントワネットが処刑された場所。俺が崇拝する希代の
お嬢様キャラが、ギロチンで殺された場所。そこに俺は立っていた。
高らかに真っ直ぐと、天へ向かって伸びている巨大なオベリスクは
古代エジプトの王の威光を示す、一枚岩で出来た先の尖った石柱。
イタリアのローマやバチカンにもあったが、このオベリスクには
フランス革命の象徴としての意味合いもあるからだろうか、
どこか重苦しい印象を受けた。
パンがなければお菓子を食べればいいのに。その通りだ。
だから俺はマドレーヌを食べているのだ。
そのまま歩いてles Champs-Élysées、シャンゼリゼ通りへ。
日も暮れてきらびやかな照明に照らされるその通りに、小汚い
バックパッカーのアジア人はあまりに似つかわしくないように
思えたので、すたこらさっさと通り抜けることにする。途中、
綺麗なドレスで着飾ったモデルのような姉ちゃん達を何人も
見かけたが、流石にナンパする度胸もスキルもない。
そのまま通り抜けて凱旋門へ。どうせ来たのだから、パリの夜景を
眺めてから宿に戻ろうと思って入場料を払って頂上へと階段を登る。
登っていると声をかけられた。振り向くと先刻のブラジル人だった。
パリ狭いな。
予期せずして野郎二人でパリの夜景を眺めることになったのだが、
しかし綺麗だった。神戸の山の上からの夜景も、香港の山頂からの
夜景も確かに綺麗だったけれど、パリの夜景はそれらとは少し違う。
それもやはり、街全体の雰囲気と同じで、パリの歴史や住んでいる
人々の思いがこうして街の景色として表れているんじゃないかな、
そんな風に思った。
満月の浮かぶ群青色の空を、エッフェル塔のサーチライトが照らす。
パリの空には街の光が浮かび上がって、それはとても美しい光景だった。
翼の持ち合わせはなかったので、その代わりに、この目にしっかりと、
俺はパリの灯を焼き付けた。
その後、ブラジル人と別れて宿に戻る途中で迷子になった。