あそこは雨が多くて年中霧の出てる憂鬱な街だって」
いくつものベッドが折り重なるように積み上げられ、子供が
家具を並べて作った秘密基地のような様相を呈すdormitoryの、
一番隅の窓際のベッドに腰掛けた俺に向かって男性は言う。
「だが、そうさ、彼らは一体何を心配しているんだ?」
愉快そうに笑う彼。俺も頬を緩め、肩越しに窓の外を眺めた。
狭い路地の向かい、建設中のビルの窓ガラスが、雲一つない
ヨーロッパの空を反射して青く輝いていた。俺は顔を戻して
彼に言った。
"Yeah, it's so good day."
パリを出てから数時間ほど経って、バスは海峡を渡る船に乗り上げた。
電車だとユーロトンネルを使うのだが、coachではそういう訳には
いかない。列車に比べれば遥かに運賃も安いのだから時間がかかるのは
仕方がないだろう。船に乗る前に入国審査があった。太った審査官の
おばさんはやたらと俺に質問を浴びせかけ、俺も必死に英語で返答。
やっと解放され、なんだったんだろうと思うのと同時にちゃんとした
入国審査はこれが初めてだったことに気付く。イタリアは適当だったし
スイスに入る時は何もなかったし。入国審査って普通はこうあるべき、
なんだろうな。なんというか、キノっぽい。
行き先には思っていたより遅く着きそうだったので、予約をした
ホステルに遅くなる旨を伝える。電話で英語っていうのは本当に
怖い。直接話せば伝わる内容も電話だと分からなかったりするし。
ボディランゲージは偉大だ。
船にそう長い時間乗ることはなくすぐにバスは発車した。港から
さらに長いこと走り続け、窓の外が真っ暗になる頃合いになって
やっとバスは停車。ビクトリア・ステーション、ロンドン交通の
中心地。
やっと念願のロンドンに来れたという思いもあるにはあったが、
長旅の疲れが肩と首の間にどっかと座って立ち退く気配がなく、
さっさと宿へ行って休むことに。ロンドン名物undergroundで
ビューン…おい、滅茶苦茶高いぞ。初乗り千円?
いきなりぼったくられたような気分になりながら、さらにはやや
迷子になりつつも宿へ。地図では雰囲気は分からなかったが、
宿はロンドンの本当にど真中だった。St.Paul's Cathedralという
聖堂のド真ん前で、詳しく調べていない割には結構いい場所を
押さえたものだ。偉いぜ俺。
その実、滞在中、遂にその聖堂へ出向くことはなかったのだが。
受付を済ませ、寝静まった部屋へ音を立てないように忍び込み、
苦労して自分のベッドを見つける。シャワーを浴びて歯を磨いて
ベッドに潜り込んだ。
翌朝、階下に降り食堂へ行くと、意外に豪勢な朝食が並んでいた。
バイキング形式で、パンやシリアル、ビーンズに肉もあるじゃない。
イギリスはマジで飯が不味いと聞いていたからビクビクしていたが
案外マトモそうだ。シリアルやパンは不味くしようがないだろうし…
…まあ、そんなに美味しい訳でもなかった。
...£
ここでホステルの朝食レベルをランク付けしてみよう!
俺の泊まった宿のみでの独断と偏見により過ぎた評価では
スイス>>>>>>スペイン≒フランス≒イギリス>>>>>>イタリア
イタリアがイギリスより下という意外な結果になりましたが
濃過ぎる珈琲と固過ぎるパン一個という囚人もかくやという
壮絶な朝飯を出されてはこういう位置づけにせざるを得ない。
しかしその辺のトラットリアで食べた昼飯は天国の味がした。
そうか、これがツンデレというやつだな。
...£
朝食を食べ終わって、部屋に戻る。手元にある地図は日本で
印刷してきた簡略なものしかないので、まずは地図を手に
入れなければ。天気もいいので荷物も殆どロッカーに入れて
パーカーにジーンズというどこからどう見てもロンドンに
留学してきたアジア人という格好で出かけた。
途中でT/Cをポンドに換えてもらう。有り得ないレートに
一瞬心臓が止まりそうになったが、心を強く持つんだ俺。
ユーロもかなりやりたい放題だったがこっちはもう犯罪だ。
外国人に物を買わせる気とか絶対ないね。地下鉄も昨晩で
懲りたので絶対に乗らないと心に決めていた。
中央通を西へ歩いてトラファルガー広場を抜け、SOHOへ。
トラファルガー広場にはネルソン提督の「おまいらがんがれ」
(意訳by俺)という有り難い記念碑とかがあったが、集会とか
演説とかは残念ながらやっていなかった。折角天気がいいから
誰か何かイカれたことをやればいいのに、と少しだけ思った。
かの有名なピカデリー・サーカスへ。サーカスと言っても
道化がうろうろしている訳でもなんでもなく、ただのデカい
交差点。コカ・コーラやSAMSUNGの広告が昼間から電気を
無駄遣いして地球温暖化に貢献し(LEDになったからと言って
いい気になるなよ)、エロスの像はエロくない。ぐるぐると
周りを回る赤い二階建てのバスのThe Sunの巨大広告の方が
よほど性的描写にかけては上をいっているあたりに、この国の
素晴らしさとかがよく現れているような気がしないでもないね。
なんの気無しにHMVに入るとイギリスのバンドが国内盤として
扱われていて妙な気分になった。当たり前なのだが。
どうでもいいが、ジュネーブやパリと同じくここロンドンでも
ジャパニメーションは着実にその影響を拡大しているらしく、
DVDの週間トップ10の6位に攻殻機動隊がランクインしていた。
イギリスの映像コンテンツが下らないのか、単にヲタが多いのか。
謎は結局解けず仕舞いである。
お昼も近いので食糧調達。フィレンツェで出会った友人曰く、
チャイナタウンに行くといいとのことなので通り裏の中国人街へ。
この国で一番美味しいものは何かと訊ねると、中華かインド料理、
と平気で返されるところにこの国の素晴ら(以下略)。しかし、
中華は今ひとつ気が進まなかった…いや、この際はっきり言おう、
見た目の割にあまりに価格設定がアレ過ぎたので、パス。
いつも通りにスーパーでお菓子とパンとミネラルウォーター。
これなら全世界共通の味だし…
せっかくなので、ハイド・パークで食べることにした。ここでも
残念なことにスピーカーズ・コーナーで演説している人は皆無。
さらに残念なことには、スーパーで買ったバケットは何故か
あまり美味しくなかった。…あ、栗鼠がいる。
体力回復を終えて、俺は再びビクトリア・ステーションへ。
途中、女王様のお住まいであるバッキンガム宮殿へ寄ると
丁度衛兵交代式の頃合いだったらしく観光客が集まっていた。
俺もしばらくそこで見物人の見物をしていると、騎兵隊が
チャカチャカ行進してきた。…向こうで騒いでいるのは
きっとアメリカ人だな。
駅へ着く。帰りの空港への交通手段を調べながら、この旅も
もうすぐ終わりかと感慨深くなる。Tourist Informationで
地図をくれ、と言うと有料だ、と言われた。どこまで素敵なんだ、
この国は。ヴェネツィアと並んでこの街はバッパーの敵だ。
...£
ちなみにBackpacker=Bapperに優しい街とは
・地図がタダ
・物価・交通費が安い
・宿代も安い
・治安がいい
・人が親切
・スーパーマーケットが多い
であり、その点で言えば一番素晴らしかったのは
バルセロナかもしれない。治安は微妙だけど。
...£
地図は諦めることにした。おおまかな地理は手元の地図で
分かるし、二日間だけならなんとかなるだろう。駅を出て、
ウェストミンスター地区を抜けビッグベンにご対面。うん、
見たまんまだ。感動が少ないのは何故だろう?
つーか、やはりイギリスの2chでは大Benとか言われているんだろうか。
橋を渡って、今度は川の南側を通って戻ることに。人が多く
雑多な印象の大きな川むこうと違ってこちら側は知的で静かな
印象を受けた。オフィス街とかが多いのかもしれない。
個人的にはこちら側、川南の雰囲気の方が好きではある。
ロンドン・アイも見た。デカい。マリノアのアレよりデカい
唯一の観覧車だしな。
遠くに見えるのが世界一デカい観覧車、London Eye。
今はシンガポール・フライヤーに抜かれてしまって二位だが
静かな街の間を通っていると、美術や音楽関係の建物がちらほら。
いろいろと覗いていると、National Theatreで夕方からJazzの
ライブがあるらしい。タダだというので、これは観るしかない、
と宿にダッシュで戻って荷物を置いて、一応シャツに着替える。
再び川南のsouthbank地区に戻ってサックスに聞き惚れた。
金もないのに麦酒を飲んでいたのは内緒だ。
心地よい音楽と久々のアルコールでいい気持ちになったところで
夜風にあたりながら橋の真ん中から街をぐるっと見渡した。
街の明かりとネオンが煌めき、テムズ川にはちらちらと光の粒が
散っては揺れて、不思議に綺麗だった。ロンドンは思っていたほど
いいところではないけれど、そんなに悪い場所でもない。
そんな風に思った。